日吉稲荷神社
羽呉神社
境外末社 もとお蔵の鎮守
大江護国神社
山口藩殉難諸士招魂碑 1870年山口藩が鎮祀、同藩の志士48名の霊を祀る
上町台地の西端に沿う一帯は「夕陽ヶ丘」と呼ばれており、その昔、この台地のすぐそばまで海がせまり、西の海に夕日が沈み行き、茜色に染まる空の美しさにいつしか「夕陽ヶ丘」と呼ばれるようになったといいます。境内には俳句碑があり、芭蕉の句としても有名です。
あかあかと 日はつれなくも 秋の風
翁
よる夜中 見ても桜は 起きて居る
三津人
綱の子の 名にやあるらん 杜宇
千季
春風の 夜は嵐に 敷れ鳧
暁臺
四天王寺創建の際にそれを守護する四天王寺七宮のひとつとして祀られた神社で、古くから摂津を描いた絵図などに登場しています。戦争で焼失した拝殿など絵葉書で見ることが出来ます。画像をクリックすると大きくなります。
資料提供 氏子総代会幹事宇野氏
境内奥に鎮座する狛虎は江戸時代に祀られていた毘沙門天の守護で、明治の神仏分離で「吽形」が滋賀に移され、残った「阿形」も大阪大空襲で焼夷弾を受け、耳がとれ歯も欠けてしまいました。そこで平成十五年八月、地元有志が「狛虎を一対にしたら優勝するのでは」と「吽形」の狛虎をつくり、そしてその年、阪神タイガースは十八年ぶりに優勝しました。マスコミにも大きく取り上げられ、今ではタイガースの守り神として、多くのファンがお参りされています。
左から タイガースファン奉納の「吽形」狛虎、毘沙門天の鳥居、戦火に焼け残った「阿形」の狛虎
<狛虎・新「阿形」の移設>
江戸時代の終わりに奉られていた狛虎「阿形」の台座の風化が進み、平成十五年に「吽形」と同時期につくり保管していた「阿形」と替えることになりました。平成二十三年十月、総代はじめ崇敬者のご寄進により奉納され、平成の狛虎が揃ってのお披露目となりました。ますます阪神タイガースの守り神として、多くのファンの方々が参拝されることでしょう。なお、江戸時代の「阿形」の狛虎は蔵に保管されています。
左から 祈願札が添えられた「吽形」狛虎、 吽形・阿形揃った狛虎の姿、 新しい「阿形」の狛虎